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札幌市中央区北4条西12丁目 北海道労働福祉会館4階

道衛団連のあゆみprofile

衛団連の創立25周年を記念して昭和54年10月1日発行されたものです。

目 次


   ○ 発刊のことば                      会長 武 田  忠 幸
   ○ 創立25周年を祝して               北海道知事 堂垣内  尚 弘
   ○ 北海道衛生団体年表
   ○ 地区衛生組織の活動とその展望
   ○ あとがき                      事務局長 高  橋  重  吉 

地区衛生組織の活動とその展望

1 はじめに

  道衛団連が結成されてから本年で満25周年を迎えたのを機会に、地区衛生組織の実践活動の足跡を振り返り、さらに将来への展望についてふれることが自治意識を活発化する手がかりとして意義深いものと考える。


2 我が国の住民組織の始まり

  我が国の住民組織は、その源は古く江戸時代に「町組」を祖型とするといわれている。
  火消し組もその一つであった。その組は明治維新とともに解体したといわれ、それからの過程は明らかでないが関東大震災直後における被災者は相互援助を契機として所謂町内会的組織が自主的に生まれたのも自然といえる。


3 地区衛生組織活動の歴史的変遷

(1)衛生組合の始まり

  コレラ防あつのため立ち上がった地域住民組織の端緒は、行政の必要から官公庁の提唱により組織化を図る場合と、あくまで地域住民の目的意識により自然発生的に組織化される場合とがあるが、衛生団体連合会の衛生組織はむしろ後者に属する。
  明治の初期、我が国は諸外国に対して開国を宣し、諸外国との交流が急速に多くなったが、それにつれて伝染病も同時にもちこまれ明治10年から全国にコレラの大流行があった。
  当時我が国では伝染病防疫についての知識や技術が皆無のため、コレラに罹患し死亡する人が跡をたたず住民の不安はつのるばかりであった。やむを得ずして住民の自己防衛のため当時の先覚者が中心となって東京にまず衛生組合が組織された。
  これが我が国おける最初の地区住民組織と思う。その後コレラが各地に大流行するにつれて、全国各地に衛生組合が組織されコレラの防あつにつとめ輝かしい活動の成果を残しながら今日まで実に103年に亘り、最も古い歴史をもつ組織であり、文字通り日本最初のコミュニティ地域の連帯性、人間関係の回復組織でもある。

(2)全国衛生組合の誕生

  明治30年に伝染病予防法が公布され、衛生組合設置の条項がうたわれるに及んでその後、全国津々浦々の市町村に至るまで衛生組合が組織化されるに至った。
  このことが後で衛生組合の功罪にもふれるが本来の地域住民が伝染病の防あつのために組織化されたのが明治30年に法で衛生組合設置が義務づけられたことにより、後に市町村行政の下請け機関となり下がり、やがては戦争遂行のため時の軍部に利用されることになるのである。
  さらに大正から昭和の初期になると、衛生組合の活動内容は本来市町村行政の責任で実施しなければならない行政事務の一部も含まれ、さらに現在保健所が行っている保健サービス業務さらには体育・学校保健関係の施設の経営まで網羅されていたのを見るのである。しかも昭和年代にはますますこの傾向に拍車がかかり大きな活動や恒久的な事業を望み得ないとの理由から衛生組合法を制定して法人格を与えてこれを強化しようという運動が極めて活発になった。
  すなわち第50議会以来数次の旧帝国議会に建議案が提出せられたが通過せず、政府はついに第59議会に法案を提出するに至ったのであるが、貴族院において審議未了に終わったのである。
  その当時の貴族議員による反対の理由は行政と地域住民組織との関係を非常に明確にしており興味深いので列挙する。
@ 衛生組合を法人となし、これを市の区域内に設置し、その区域内に居住する世帯主の全部を当然その組合員とすることは、市の下に衛生行政を処理する地域的な公共団体を置くことになる。このことは我が国の自治制度の根本にふれ  ることになる。
A しかも、市町村の衛生事務と衛生組合の業務との分界を定めることは、なかなか困難があり、市町村の下に衛生組合を認めるくらいならば、市町村そのものにもう少し衛生事務を熱心にやらせるようにして、必要であれば人や費用を  増加したらよい。
B あらたに衛生組合法を制定し組合費の強制徴収を認めることは、国民をして租税以外の公法上のあらたな負担をさせることになるので、現在の情勢下では歓迎することではない。組合費に一定の限度を設けるとしても、公課の負担で  苦しんでいる国民の現状において好ましいことではない。

  このような経過をたどりながら昭和15年9月戦局の激化に伴い、衛生組合は町内会・部落会に統合されたので、旧衛生組合は一応50年の歴史に終止符をうつことになった。しかし、衛生事務は終わった訳ではない。 


4 第2次大戦後の活動

(1)蚊とはえのいない生活実践運動の展開

  大戦後の国土は荒廃を極め、いたるところにゴミの山、ドブの川と化し、日本脳炎や赤痢の大流行は、再び地域住民をして自ら組織的な伝染病防あつに立ち上がったのである。
  昭和22年ボツダム政令が公布されるに及び町内会部落会と、これらに類するすべての組織が廃止された。しかし地域の住民が、自主的に、しかも自然発生的に組織された地区衛生組織は、一片の法令や通達ですべて活動が中止されるものではない。
  衛生組合などの名称はたしかに他の名前に塗り替えはしたものの地区衛生組織活動はその後も続けられていたのである。 その端緒は、草深い片田舎の農漁村にまで各種伝染病が侵入し多発していったからである。
  これら伝染病菌の運搬者であるそ族や蚊とはえの駆除運動が起きたのもこの時であり、自分達の街や村から「蚊やはえ」を追い出し、伝染病のない明るい街づくりをめざしたもので、しかも家畜の生産と生活が直接結びつく運動としてマスコミにも取り上げられ、これが僚原の火のように全国的に波及していったのである。これを当時「民衆組織活動」という素朴な名前で呼ばれていた。 このことによって、この組織活動の本質を伺うことができる。
 昭和30年に至り、厚生省は3ヶ年計画でこの運動を体系的に、組織的に育成することを閣議決定に求め、予算措置を行い「蚊とはえのいない生活実践運動」として提唱したので、実践運動もさらに徹底し伝染病も急速に減少し、多大な成果をおさめてきた。
  この運動も40年代に入ると環境衛生施設の整備が充実され、先細りとなり特に都市部は低調となったが、この運動が契機となって地区における多くの人達が連帯感を深め、衛生組織活動のあり方について実践的に経験を重ねたことは、今後50年代の住民組織活動を促進する上からいっても貴重なものである。


5 道内での地区衛生組織活動

(1)道内組織の動き

  戦前における道内での地区衛生組織活動は、前述した全国の活動と大差なく、あくまでも伝染病予防法による官庁指導型の衛生組合であり、衛生行政の下部機関として地区住民もこれに追随協力してきた。
  その後、町内会部落会に整理統合され、終戦後は占領軍の指示により解散させられる運命を辿った。ところが昭和24年夕張市を中心として発生した小児マヒの大流行、つづいて25年に発疹チフスが道南地方に発生、更には26年道央地方に腸チフス、赤痢の大発生となり、道内の伝染病は各地に猛威をふるい、地域住民をして自衛のための地区衛生組織が次々と組織化されていった。
  23年9月帯広市大正年(旧大正村)に衛生協力会が組織され、また24年には札幌市の伝染病は年間4,000人を突破し防疫対策もままならず、当時高田札幌市長はモデル衛生地区を指定し、国と地方自治体と民衆との三者の力を結集して先ず模範地区を作り、それを全域に押し広げようとした。
  これがきっかけで大通地区が衛生模範地の指定を受け、地域住民が積極的に立ち上がりやがて札幌市衛生模範地区協力会(会長石原通孝氏)誕生の原動力となった。(この外市町村の衛生協力会組織の模様は紙面の都合で省略します)
  昭和28年6月道衛生部保健指導課の調査によると、道内での地区組織は267団体であったが、昭和48年12月末の調査では10,824団体となり、加入人口は4,500,612人となり、その普及率は道内人口の約80%を数え、この運動の力強い活動が伺える。

(2)北海道衛生団体連合会の結成

  地域住民の自主的な地区衛生組織活動も小単位、或いは市町村単位では問題解決に困難性を感じること、また組織間での連帯性、協調性を確保する必要から、27年8月、富良野町(現富良野市)において第1回北海道衛生奉仕大会(当時富良野町衛生組合長竹内武夫氏主唱)を開催し、翌28年9月には栗山町で第2回大会を開催し、厚生政務次官中山マサ氏の出席を得、300名の参加があり道連合会結成への機運が高まった。
  更に29年7月函館市で第3回大会を開催し、北海道知事田中敏文氏が出席し400名の参加を得て、道連合会結成について満場一致で決議され意義深い大会であった。
  発足当時からの記録によると

    ○名 称       北海道衛生団体連合会   (昭和29年7月〜昭和43年1月)
          社団法人 北海道衛生団体連合会   (昭和43年1月〜現在)

    ○会  長  初  代   竹  内  武  夫    (昭和29年7月〜昭和36年6月)
         2  代   谷  内  甚作衛門    (昭和36年6月〜昭和40年8月)
         3  代   武  田  忠  幸    (昭和40年8月〜現在)

    ○事務局      北海道衛生会館内      (昭和29年7月〜昭和35年9月)
             北海道衛生部環境衛生課内   (昭和35年9月〜昭和42年8月)
             北海道社会福祉会館内     (昭和42年8月〜昭和43年10月)
             日本赤十字会館内       (昭和43年10〜現在)


 組織は道内保健所管内市町村の全域にわたり、地区衛生活動の実践を目的とする団体で組織し、現在は各保健所(道立45、政令市保健所9)管内の連合会が組織されて全道212市町村の衛生組織が加入している。

  主な事業は
        @北海道公衆衛生大会      第28回開催(平成20年第57回)
        A北海道公衆衛生大学     第182回開催(平成20年第312回)
        B環境衛生推進員研究協議会  第64回開催

  その他地方公衆衛生大会の開催、保健教室(主として婦人層)の開催、生活環境浄化実践運動、保健予防(脳卒中)増進運動、衛生教育活動の推進などで「環境づくり、健康づくり」の実践活動を毎年根気よく実施してきた。
  このように北海道の地区衛生組織活動は、他府県の先進的役割を果たしながら25周年を迎えたのである。


6 現在地区衛生組織が直面している問題点

(1)組織上の問題点

 長年の実践活動にやや疲労感が見られ生活環境浄化の目的も見違えるほどに向上し、マンネリ化の傾向となり、組織や指導者の老齢化が進んできた。しかも、経験豊かな指導者層と、若い層との連携がなかなかすまく運ばないためよき後継者が育っていない。
 もちろん現代的な風潮の中で進んでボランティア的奉仕活動をしようとする若い層が少ないことを認めざるを得ないが、長年組織が活動してきた目的がだんだん不明確になって、若者の参加意欲と魅力を持たすことが困難になったのが原因を作っているのかも知れない。
 さらに、第二の原因としては最近の人口流動のはげしさがある。あらたに転入する人達と長年住んでいる人達との考え方の相違があり、組織活動の推進を阻害する場合が多い、その地域に永住している人達は現在まで実施してきた活動の実績に、誇りと自信があり押しつけがちである。
 大都市周辺の衛星都市に居住する人達は、いわゆる職住分離がこの傾向に一層拍車をかけ地域住民意識と連帯感が薄く、組織離れや無関心層が増えている。
 第三に組織内での意見の交換、話し合いがとかく形式的になっている。総会が年1回、役員会が年2.3回開かれる程度では、地域住民の要求や課題など掌握も困難で、組織離れや無関心層を増やすだけである。

(2)伸び悩みの実践活動

 地区衛生組織活動は、当初伝染病防あつ及び予防の目的から、主として環境衛生上の問題点解決のため実践活動を実施してきたが、諸先進国より遅れているとはいえ、環境衛生の整備が急速に進み、じん芥の運搬車によるゴミの収集、じん芥焼却炉による処理、し尿のバキューム車による計画収集、下水道による終末処理施設と水洗便所化の普及、上水道施設の普及等により、これら等を発生源とするそ族、こん虫の発生が著しく減り「蚊とハエのいない生活」もほぼ達成し、これら駆除技術を主として取り入れた地区衛生活動も大きな目標が後退し先細りの傾向にある。
 むしろ我が国の死因統計の上位を示してきた脳卒中、がん、心臓病等いわゆる成人病予防対策等に組織活動が向いてきている。いわゆる疾病の早期発見早期治療のため各種検診に対し地区住民の自覚をうながす衛生教育的な普及協力が行われている。
 しかしながら、この活動は伝染病と違いあくまでも対人個々の問題であるだけに衛生組織の全般の活動として活発化することは難しい。むしろ最近各地域での公害問題で行政側に直接解決を迫るといった住民活動が盛んになってきており、ここ数年前から一段とはげしさを増している。
 これは直接被害を受けている地域の住民が、行政側の解決態度に不満をもち、あらたに地域で組織化を図り、やむなく立ち上がったものと思われるが、これなど、運動に対する既存の組織、とくに地区衛生組織では地域内の要求問題として取り上げるべきものもあると思うが正直いって、公害問題は複雑で且つ高度な専門知識が要求される場合が多く、従来の地区衛生組織の範囲を超えるものとして考えたのであろうが、衛生組織活動が脱皮を迫られている現在は、検討すべき課題と思われる。

(3)望まれる責任分担の明確化

 地区衛生組織活動を進めていく場合とかく行政とのトラブルが見受けられ、行政のすべき役割と地区住民活動上の役割を明確にしていないためのものであろう。
 行政は地域の住民が健康で明るい住みよい豊かな生活を送れるように各種施策を実施しているのであるから、当然組織活動の目的と合致し、本来行政とのトラブルがないのが普通である。しかし、現実には地区内の小公園の清掃、生活圏内の道路、川などの清掃は行政の責任で行うべきとの是非論にみられるとおり地域によって論議されている。
 行政は税金を運用する場合あくまで公平無私のサービスであるべきで、いやしくも特定の個人を対象とした利益を与えるようなことがあってはならない筈である。地域住民ができることは自分達の手で処理すべきであり、なにもかにも総て行政のみに依存は、地方自治体の財源を効率的に運用する意味で当然であると考える。
 だが、行政の責任で処理すべきものと地域住民の手で実施できることを明確に区分した上で、両者の協力態勢ができることが望ましい。


7 今後の地域衛生組織の展望

(1)新しい課題の設定

 地区衛生組織活動は地域住民の日常生活に根ざした、生活関連課題によるものだけに今後の活動の停滞はあるにしてもこの活動が停止することはない。
 むしろ、生活環境の浄化問題と健康づくり問題が重要な課題となっているだけに、地域住民の健康を守り豊かな郷土をつくるためであり、この衛生組織活動は地方自治確立のために一層の健全な運営と発展が望まれる。
 そのため組織のリーダーはたえず実践活動の新しい課題の目標を設定するに当たっては、地域住民のコンセンサスを求め、課題選択にも十分考慮を払う必要がある。このことが無関心層にも関心をもたせ青年層にも魅力を持たすことにもなり、更には地区衛生組織の若返りにもつながるものと思われる。
 また、昭和53年4月厚生省が打ち出した、国民健康づくり地方推進事業実施要綱(公衆衛生局長衛発第328号)により、市町村ごとに設置される健康づくり推進協議会の構成員として参画し、地域の実情に応じた健康づくりの方策を体系的総合的に審議し企画されるが、なかでも高齢化社会いに向けての老人層の健康問題、婦人層の肥満、貧血の増加が大きな問題となっているが、自分の健康は自分で守るという認識のもとに、各人が日常生活において「栄養、運動、休養」のバランスをとることを基調として、地域住民に密着した総合的な健康づくり対策を積極的に推進することである。

(2)脳卒中半減運動の推進

 昭和52年度から全国地区衛生組織連合会で取り上げた脳卒中予防運動推進事業は、脳卒中を半減し寝たきりの老人を少なくしようとするものであり、道内に数カ所のモデル市町村を設定しているが、更に全市町村に普及するのが目的である。
 この運動は、地区衛生組織活動の一環として積極的に取り上げるべきである。具体的な運動としては3S(酒、砂糖、塩)、2T(煙草、体重)の減量運動が、日常生活の中に徹底することが食生活改善運動ともなり、北国の脳卒中を半減する手段として最も効果が期待される。
 台所を預かる主婦は家庭内での健康管理者としてこの運動に参加するのは明らかに実行をもたらし、生活に密着した運動と考えるのでおすすめしたい。

(3)トリム運動のすすめ

 (精神と身体のバランスのとれた体力づくり)
 地区衛生組織活動が取り組む課題としてトリム運動を見逃すことはできないと思う。従来から我が国の医療は治療中心の医療に専念してきた傾向があり、とかく疾病の予防は総論賛成で各論になるともう一つ努力の不足を感じざるを得ない。
 最近になって我が国の医療も予防治療に、リハビリーを加えて一貫した医療サービスを実施する、いわゆる包括医療が打ち出され、その総合施設が建設されるようになった。
 これを更に一歩進めて予防・治療という受け身から健康増進、体力増進の方向に目を向けて、病気にかかりにくい強い身体にするため積極的な活動を進めるべきと思う。
 特に、地域社会の体力づくりは文部省所管の社会教育の場で取り上げられ、人間能力開発と運動競技に力点が置かれ、一般社会人の体力づくりの面には不足を感じている。
 地域住民の体力づくりはむしろ医学的な見地に根ざした体力づくりが望ましく、個人の年齢、能力、身体の強弱に応じた体力づくり、身体的には医師のカルテによる体力づくりを提唱したい。
 その意味において、いわゆる精神と身体のバランスのとれた体力づくりを願う地域でのトリム運動こそ、幼児期から高齢者まで地域住民のニーズに合致する新たな課題としておすすめしたい。

(4)婦人の参加に期待する

 かなり前のようであるが、婦人だけでの地域衛生組織化を図り地域住民の健康管理に積極的な活動を行っている事例が第9回全国保健衛生大会(大阪)で発表された。
 近年、家庭の主婦の家庭業務は電化製品の普及により、かなり時間的余裕を生じてきている。地域の健康をまもるため地区衛生組織活動は男性が1人占めするような活動ではない。
 むしろ家庭内で夫や子供の健康管理の責任は主婦にあり、その延長として地域社会の健康管理にはその責任の一部を持ってもらうことは決して不思議ではない。余暇を利用しての奉仕活動は本来ご婦人の方がなじむかも知れない。
 第25回北海道公衆衛生大会函館大会での大会宣言にも、地区衛生組織活動には積極的に婦人参加を進めることがもたされたが、179回北海道公衆衛生大学講座(54.9)の中標津会場では、婦人受講者が約8割を占め、今後はこの種の組織活動の方向を指すものとして注目している。


8 おわりに

 北海道衛生団体連合会が取り組んでいる地区衛生組織活動を通じて、地方自治のバロメーターとも言われている住民運動(活動)には、それぞれの目的に沿った名称を用いて数多くの団体が住民運動を取り上げている。
 いずれにしても我が国の民主主義、いわゆる地方自治体は他から与えられた感が強く、欧米諸国のように自分自らの手で民主主義を手に入れたものでないだけに、戦後30数年になった今日でも、もう一つピッタリこないものがある。このことが地区衛生組織活動の中に見られるのである。
 住民の個人的エゴまで行政側に押しつけようとする傾向はその現れだと思う。生活の場で自分のできる範囲まで放任し協力しないのはうなづけない。今後は行政側の責任でできるものと、できないものとを明確にし、できないものについてはその理由を明らかにし、地区住民の理解を得る誠意と努力が一層必要となってくる。
 こういう行政の態度こそ今後の住民運動において行政と住民の役割を明らかにし、住民運動が育って行き協力態勢がしっくりして行くのであると思う。
 過般、毎日新聞本社が実施した地方自治について全国世論調査を発表したが、この問題の中で「あなたの身近に問題があって住民運動が起きた場合あなたはどうしますか」について、「積極的に参加する」16%、「なるべく参加する」59%で、地域住民の70%以上は何らかの形で住民運動の必要性や何らかの要求をもっているのは明らかになった。しかも、「あなたが市町村当局に一番力を入れてほしいのは何ですか」の質問に対し26%が生活環境の改善を望んでいる。
 この調査で明らかなとおり、地域住民は生活環境問題に関心があり、しかも何らかの呼びかけがあれば共に活動しようという意欲があるのであるから、今後の地区衛生活動を一層活発化にし得る土壌が備わっているのである。
 地域におけるリーダーは、この地域住民の声に耳を傾け、より健康で明るい住みよい豊かな地域社会の前進をめざして共に建設したいものである。


○あとがき

 創立以来25周年を迎えることに気がついたのは53年の秋頃でした。
 伝統と歴史のある当連合会の古い記録が少ないのに驚き、事務局長の4代目として記録をまとめておく責任を痛感したのもこの時でした。
 いざまとまった資料を得えようとしても創立当時からの資料に乏しく、結局昭和40年頃からの資料を中心に拾い上げてようやく脱稿し、出来上がったのがこの小史である。まことに不完全きわまるもので汗顔の至りですが、何かのお役に立てれば幸いです。
 貴重な時間を割愛され、情報の提供や草稿までご協力いただいた役員の方々と特に最終決定稿の校閲について、武田会長をはじめ編集委員の石原副会長、河本常任理事の過分のお力添えをいただき感謝申し上げます。
 また、道衛生部総務課前衛生教育係長森田茂、現衛生教育係長箱島盈、前事務局長広田雅美の諸氏から貴重なる情報やご意見を提供していただきましたので厚くお礼申します。
 今後はより完全な企画のため保管されますが、この小史に関してお気付きの点は是非ご叱声を賜りたくお願いします。

    昭和54年10月1日

                                     編集担当  高 橋 重 吉
                                         (道衛団連事務局長)


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